2017年8月12日土曜日

世界史ー中世ヨーロッパ

イスラムのヨーロッパ侵入

シチリアの晩鐘
同-2

西ヨーロッパ世界の成立<設問>


ポエニ戦争

ラヴェンナのテオドリック廟

テオドリック

ユスティニアヌス1世

ユスティニアヌス1世ー世界史の窓

テオドラ (ユスティニアヌスの皇后




①ゲルマン民族の大移動<←世界史の窓>
三 七 五 年、 中央アジア の 遊牧民 フン 族( 中国 古代 史 に あらわ れる 匈奴 と 同一 民族 と 思わ れる) が 西進 し て 東 ゴート 族 を 服属 さ せる や、 その 隣り に い た 西 ゴート 族 は、 ローマ帝国 の 保護 を 求め て、 大挙 し て ドナウ 川 を 越え た。 ノ ルマン 以外 の ほか の ゲル マン 部族 も その あと を 追っ た。
大 移動 の きっかけ を つくっ た のは、 西 ゴート 族 で ある。 かれ ら は いちおう 東 ローマ 領内 への 避難 を 許さ れ た が、 やがて 待遇 問題 から ローマ 官憲 と 衝突 し た。 これ が アドリアノープル の 戦い で、 ローマ 軍 は 大敗 し、 東 ローマ 皇帝 ヴァレンス は 戦死 し た。 西 ゴート は 三八 二 年 東 ローマ 皇帝 テオドシウス と あらためて 条約 を 結び、 帝国 の 同盟国( フェデラティ) として、 下 モエシア 地方 に 定住 する こと を 認め られ た。
410年 11月 には、 ついに ローマ を 占領 し、 三 日間 にわたって 略奪 の かぎり を つくし た。 アラリック の 死後、 かれ ら は さらに 西進 を つづけ、 ガ リア を 経 て 四 一 五 年 には イスパニア に 到着 し、 そこ に 落ち着く こと に なっ た。 四 一 九 年 かれ ら は ふたたび 西 ローマ帝国 と 条約 を 結び、 帝国 の 同盟国 に なっ た。 これ が 西 ゴート 王国 で ある。

「 鋭い 空色 の 眼、 黄金色 の 頭髪、 長大 で しかも ただ 攻撃 に のみ 強い 身体」 の もち 主 と 形容 し た ゲル マン 人 が、 ローマ 社会 ない し ガロ・ローマ 社会 外 の 存在 だっ た こと で ある。 ライン 川 以東 は 完全 に そうした ゲル マン 人 の 勢力範囲 だっ た。 ローマ帝国 は かれ ら の 進出 を 防ぐ ため に 必死 に なっ た。いいかえれ ば、 現在 の ヨーロッパ 地域 が ローマ 社会、 ガロ・ローマ 社会、 ゲル マン 社会 に 漠然と 分断 さ れ て い た のが ローマ 時代 だっ た。
こうした ヨーロッパ 地域 における 三つ の 社会 の 分断 状態 を おおきく ゆり 動かし た のは、 三 七 五 年 に はじまる ゲル マン 民族 の 大 移動 で ある。

彼らははじめ東ローマ帝国 へ 向かっ た が、 やがて 鋒 先 を 西 ローマ帝国 に 転じ、 西 ローマ帝国 領 の 各地 に 殺到 し た。 その 結果、 ヨーロッパ 地域 は 大 混乱 に おちいり、 西 ローマ帝国 も 滅亡 する ので ある( 四 七 六 年)。

注意 し なけれ ば なら ない のは、 ゲル マン 民族 の なか には、 大 移動 の まえ から、 個人的 に 奴隷、 農奴、 傭兵 など として ローマ 領内 に はいりこん だ もの の あっ た こと で ある。 とくに 重要 なのは 傭兵 で、 はじめ は 臨時 的 存在 だっ た が、 のち 補助 軍 として 制度 化 さ れ、 四 世紀 には 正規軍 さえ かれ ら によって 占め られる までに なっ た。 大 移動 初期 の ゲル マン 民族 の 侵入 を 迎撃 し た ローマ の 軍隊 を 構成 し た のは、 主として かれ ら ゲル マン 傭兵 だっ た。西 ローマ帝国 を 倒し た オドアケル も、 この よう な ゲル マン 傭兵 出身 の 政治家 の ひとり で ある。

ところで、 ゲル マン 民族 の 大 移動 以後 の 時代 を、 ふつう、 ヨーロッパ の 歴史 学者 は「 中世」 と 名づける。 かれ ら は ギリシア、 ローマ 時代 を「 古代」、 ルネサンス 以後 を「 近代」 と よび、 両者 の 中間 の 時代 に「 中世」 の 言葉 を あてる。
ヨーロッパ 人種 ないしは ヨーロッパ 世界 は けっして 大 むかし から 存在 し た もの で なく、 歴史 の ある 特定 の 時期 に 形成 さ れ た

大 移動 の 背景  
れにしても、 たいへん な 大 移動 ぶり で ある。 いくら フン 族 の 脅威 が あっ た に し ても、 移動 距離 が あまりに も おおき すぎる。 かれ ら ゲル マン 民族 を 長途 の 遠征に かりたて た ほんとう の 原動力 は、 いったい どこ に ある の だろ う か。
考え られる のは、 フン 族 の 脅威 が あろ う と なかろ う と、 当時 の ゲル マン 民族 が、 故郷 を 捨て て、 新しい 定住 地 を 遠く に みつけ なけれ ば なら ない ところ まで、 追いつめ られ て い た のでは ない か、 という こと で ある。

かれ ら の 農業 は、 毎年 耕地 を 変える 移動 農業 だっ た が、 三 〇 〇 年 ほど たっ た 大 移動 時代 に なっ ても、 条件 は そう 変わっ た とは 思わ れ ない。 だいたい、 ヨーロッパ の 農業 は、 ずっと あと まで、 耕地 に 施肥 する 慣行 は なかっ た。 一度 穀物 を 収穫 し た あと の 耕地 は 使いもの に なら ない ので、 どうしても、 毎年 なに かの 形 で 耕地 を 変える 必要 が あっ た








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